アブノーマルでメンヘラな24歳の赤裸々日記帳

リスカが趣味だった母親が自分を産んでまもなく、今の自分くらいの歳で自殺し、父親とは分籍、義母の登場など紆余曲折あり自分も母親に似たのか孤独感や虚無感に甘え時にはリスカし、抗不安薬を飲みながら引きこもる生活保護受給者が淡々と赤裸々に生い立ちなどを書き記すブログです。

かず。のアブノな生い立ち①

19943月30日に富田和幸、はてなブログHNでいうところのかずゆきが産まれた。

らしい、と付け加えても語弊はないんじゃないだろうかと、産まれたときの記憶がない自分からするとそんなひねくれたことを思ったりする。

出産予定日は一か月後の4月30日だったらしいけれど、当時19歳だった母親の喫煙、飲酒、自傷行為(OD)などによって一か月ズレて産まれてくることになった。

今の自分は非常にズレているけれど、そのズレはもしかすると産まれたその瞬間から起こっていた事象だったのかもしれない。

なんといってもその母親はその後赤子の僕にタバコを食わせたり滑り台から落っことしたりと、母親は境界性人格障害を患っていたのだが、まさしくボーダーラインぎりぎりなことを記憶のない頃の自分に施してきたらしい。

親が親なら子も子、、、などど言うと逃げ口上、甘えになってしまうのだが、今こうしてキーボードを打ち込んでいる自分の手首についている傷を見ると、母親そっくりな腕をしている、とひどく血の気が引いてくるのを感じる。

どう生活を成り立たせていたのかといえば、デキコンしてしまった二人は、お父さんのお母さん、つまり僕のおばあちゃんの元で実家暮らしをすることになった。おばあちゃんからすれば、血縁上は孫であったとしても、その後すぐ、

ちょうど今の自分と同じ年の頃に母親が自殺してしまったため、お父さんが一人目の息子、僕が二人目の息子、僕側から見ればおばあちゃんが母親の代わりだった。

お父さんもまだ今の自分ほどの年齢だったため、同じことで叱られたり、子供じみたことで喧嘩をしたり、ある種兄弟のような、どうしても父親、という実感がわかないような関係でいた。それをうらやましいと当時言ってくれる同級生の数少ない友人もいたけれど、学校という空間に通う頃には僕はもうすでに母性にひたすらに餓えた人間になっていて、かついじめられたくはないという強い思いから空気をひたすらに読み、同年代に敬語を使うくらい人見知りでおとなしいけれど、へこへこし過ぎず、自分はちゃんと持っている、そんなキャラ、設定みたいなものを作り上げて、いつしかそれがほんとうの自分のアイデンティティーになり、いじめられない代わりに友人はほとんど出来ないといった学園生活を送っていた。

 

〜 生い立ち②に続く 〜

 

これから自分が今のジリ貧でメンヘラな自分に至るまでの生い立ちを、自分の中でも整理する意味で書き記していこうと思います。